役員退職金は「会社売却の手取り」を左右する

会社売却(株式譲渡)の実務では、譲渡対価の一部を役員退職金として受け取る形に調整することがあります。会社売却の手取り計算の記事で解説したとおり、退職金には退職所得控除・2分の1課税という税制上の優遇があり、配分の設計次第で売り手の手取り総額が変わりうるためです。

ただし、退職金はいくらでも支給してよいわけではありません。不相当に高額な部分は会社の損金として認められない(法人税法34条2項)ためです。そこで「いくらまでなら適正といえるか」を測る物差しとして実務で広く使われているのが、本記事のテーマである功績倍率法です。

功績倍率法とは:最終月額報酬×在任年数×功績倍率

功績倍率法は、役員退職金の適正額の目安を次の式で算定する方法です。

適正額の目安 = 最終月額報酬 × 役員在任年数 × 功績倍率

数値例

項目内容
最終月額報酬100万円
役員在任年数25年
功績倍率3.0(社長)
算定額100万円 × 25年 × 3.0 = 7,500万円

税務調査や裁判例でも、役員退職金が過大かどうかの判定にはこの功績倍率法(または類似法人の退職金支給水準と比較する方法)が用いられており、実務上もっとも広く参照される算定式といえます。

なお、この式で使う「役員在任年数」は役員として在任した年数です。後述する退職所得控除の「勤続年数」(従業員だった期間を含む)とは別の概念なので、混同しないよう注意してください。

功績倍率の目安:社長3.0倍がよく参照される水準

実務上よく参照される功績倍率の水準は、おおむね次のとおりです。

役職功績倍率の目安
社長3.0程度
専務2.5程度
常務2.0程度

この水準は、昭和55年5月26日の東京地裁判決で用いられた倍率(社長3.0など)に由来するといわれる、あくまで実務上の目安です。法令や通達で「社長は3.0倍まで」と定められているわけではありません。

実際に「不相当に高額」かどうかは、その役員の業務従事期間、退職の事情、同種・類似規模の法人の支給状況などを総合して判断されます(法人税法施行令70条2号)。「3.0倍以内だから必ず安全」「3.0倍を超えたら必ず否認」という単純な話ではない点に注意が必要です。

過大な退職金は損金にならない(法人税法34条2項)

法人税法34条2項は、役員に支給する退職給与のうち不相当に高額な部分は損金の額に算入しないと定めています。損金不算入となった部分は会社の課税所得に上乗せされ、法人税等の負担が増えます。一方で、否認されても受け取った役員側の所得税が減るわけではないため、否認された場合のダメージは小さくありません。

実務上、否認リスクが高まりやすいのは次のようなケースです。

  1. 功績倍率が高すぎる — 目安を大きく超える倍率を、合理的な説明なく設定している
  2. 最終月額報酬が実態より低すぎる — 業績悪化や年金受給との関係で役員報酬を引き下げていた(または無報酬だった)場合、「最終月額報酬×在任年数×功績倍率」の計算基礎そのものが在任中の功績を反映しない
  3. 売却直前に報酬を増額した — 退職金を大きくする目的で最終月額報酬を引き上げたとみられると、増額後の報酬を基礎とする算定の合理性が争われえます

これらに当てはまる可能性がある場合は、役員退職金規程の整備や株主総会議事録の作成を含む算定根拠の整理と金額設計について、実行前に税理士へ相談することを強くおすすめします。

受け取る側の税制メリット:退職所得控除と2分の1課税

適正な範囲の退職金は、受け取る個人側では次の優遇がある退職所得として課税されます。

  • 退職所得控除: 勤続20年以下は40万円×勤続年数(最低80万円)、20年超は800万円+70万円×(勤続年数−20年)
  • 2分の1課税: 控除後の金額の2分の1だけが課税対象
  • 分離課税: 他の所得と合算されない

数値例:退職金7,500万円・勤続25年の場合

項目金額
退職金75,000千円
退職所得控除(800万円+70万円×5年)△11,500千円
控除後63,500千円
課税対象(控除後 × 1/2)31,750千円

7,500万円の退職金でも、課税対象は3,175万円まで圧縮され、これに累進税率が適用されます。同じ金額を株式の譲渡対価(一律20.315%)で受け取る場合とどちらの税負担が小さいかは、金額・勤続年数・他の所得の状況によって変わるため、個別の試算が必要です。

ただし、役員等としての勤続年数が5年以下の場合、2分の1課税は適用されません(特定役員退職手当等)。

会社売却の実務では「配分」と「株価調整」がセット

会社売却で退職金を組み合わせる場合、実務のポイントは次の3点です。

  1. 譲渡対価との配分 — 買い手が負担する総額を「株式の譲渡対価」と「会社から支払う退職金」にどう配分するかで、売り手の手取りと買い手側の税負担が変わりえます
  2. 株価への影響 — 退職金は売却対象の会社が支払うため、支払った分だけ会社の純資産が減少し、株式の譲渡価額はその分調整(減額)されるのが通常です。「退職金の分だけ手取りが単純に増える」わけではありません
  3. 買い手との交渉事項 — 退職金の金額・支給時期・原資は、買い手にとっても税務リスクと資金負担に直結します。株式譲渡契約の交渉の中で取り決めるのが一般的です

つまり退職金の設計は、売り手が一人で決められるものではなく、株価算定・契約交渉と一体で進める論点です。だからこそ、交渉が始まる前に「退職金を使うと手取りがどう変わるのか」の全体像を数字で把握しておく価値があります。

よくある質問

Q. 功績倍率3.0倍以内なら必ず認められますか?

A. いいえ。3.0倍はあくまで実務上の目安であり、類似法人の支給状況等との比較で個別に判断されます。倍率が目安の範囲内でも最終月額報酬の設定などが争点になることはありますし、逆に個別事情によっては目安を上回る水準が認められた事例もあります。

Q. 役員報酬を低く抑えてきた場合、退職金も少なくしないといけませんか?

A. 最終月額報酬が在任中の功績を反映していない場合には、功績倍率法に代えて「1年当たり平均額法」(類似法人の1年当たり退職金額×在任年数)という考え方が用いられることがあります。ただし、退職金を増やす目的で直前に報酬を大幅増額する方法は否認リスクが高く、時間をかけた設計の検討余地を残すためにも早めの相談が重要です。

Q. 会長として会社に残りながら退職金を受け取ることはできますか?

A. 分掌変更(常勤から非常勤へ、取締役から監査役へ等)に伴う退職金の支給が認められる場合はありますが、報酬の大幅な減少や経営上の主要な地位から外れたことなど、実質的に退職したのと同様の事情があるかが問われます。M&A後も経営に関与し続けるケースでは特に慎重な検討が必要です。

Q. 退職金はいつ会社の損金になりますか?

A. 原則として、株主総会の決議などで金額が具体的に確定した日の属する事業年度です。実際に支払った事業年度で損金経理する処理も認められています。会社売却のスケジュールと決算期の関係で損金算入のタイミングが変わるため、契約前に確認しておきましょう。

まとめ:退職金の設計は「全体の手取り」から逆算する

  • 役員退職金の適正額は**功績倍率法(最終月額報酬×役員在任年数×功績倍率)**で測るのが実務の定番
  • 社長3.0倍・専務2.5倍・常務2.0倍程度の目安は判例に由来するとされる実務上の水準であり、法令上の基準ではない
  • 不相当に高額な部分は損金不算入(法人税法34条2項)。最終月額報酬の設定・直前増額には特に注意
  • 受け取る側には退職所得控除・2分の1課税のメリットがある一方、役員等勤続5年以下は2分の1課税の適用なし
  • 会社売却では株価調整・契約交渉と一体の論点。譲渡対価との配分は個別性が高く、実行前の税理士への相談が欠かせません

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※ 本記事は一般的な制度の解説であり、個別の税務相談に代わるものではありません。実際の税額は、株式の取得の経緯、譲渡契約の内容、退職金の設計、他の所得の状況などにより変わります。記事中の税率・控除額は執筆時点のものです。売却の実行にあたっては税理士にご相談ください。