PSR法とは
PSR法(Price to Sales Ratio法、売上高倍率法)は、売上高に業種別の倍率を掛けて企業価値を算定する手法です。
計算式: 企業価値(EV) = 売上高 × PSR倍率
※ 厳密には、PSR(株価売上高倍率)=時価総額÷売上高で、株式価値ベースの指標です。本サイト・本記事では簡便的に、売上高倍率で事業全体の価値(EV)を概算する意味(EV/売上高倍率)で「PSR」と表記しています。
最大の特徴は、赤字企業でも算定可能なことです。EBITDA倍率法はEBITDAが赤字だと使えませんが、PSR法は売上高さえあれば算定できます。
PSR法が適するケース
スタートアップ・成長企業
創業から数年の企業は、成長投資(人材採用・マーケティング等)により意図的に赤字を出していることが多いです。この場合、現在の利益ではなく「将来の売上ポテンシャル」を評価すべきであり、PSR法が適しています。
SaaS・サブスクリプション型ビジネス
SaaS企業の評価では、ARR(年間経常収益)に倍率を掛ける手法が広く使われています(分母をARRとする場合、厳密には「EV/ARR倍率」と呼ぶ方が正確です)。ストック収益の予測可能性が高いため、売上ベースの評価に合理性があります。
プラットフォーム型ビジネス
GMV(流通総額)やテイクレート(手数料率)が成長過程にある場合、現時点の利益より売上の成長トレンドが重要です。
赤字だが売上は成長している企業
一時的な赤字(新規事業投資、大型採用等)で利益が出ていないが、売上は順調に伸びているケースです。
業種別PSR倍率の目安
以下は、ValSimのPSR法ツールと同一の業種別倍率マスタに基づく目安です。
| 業種 | PSR倍率(低め〜高め) | 中央値目安 | 備考 |
|---|---|---|---|
| SaaS | 3.0〜12.0x | 6.0x | ARRベース。成長率・NRRで大きく変動 |
| DeepTech・スタートアップ | 4.0〜15.0x | 8.0x | TAM・技術優位性で評価。赤字フェーズはPSR主体 |
| EC・プラットフォーム | 1.5〜6.0x | 3.0x | テイクレートとGMV成長 |
| 人材・HRTech | 1.0〜4.0x | 2.0x | 人材紹介は高マージン |
| IT・受託開発 | 0.8〜3.0x | 1.5x | 労働集約のため倍率低め |
| 医療・介護 | 0.8〜2.0x | 1.2x | 報酬改定リスク |
| サービス業(その他) | 0.5〜2.0x | 1.0x | 業種内の幅が大きい |
| 製造業 | 0.5〜1.2x | 0.8x | 通常はEBITDA倍率法を優先 |
| 物流・運輸 | 0.4〜1.0x | 0.7x | 資本集約型 |
| 建設・不動産 | 0.3〜1.0x | 0.6x | 受注型で変動大 |
| 小売・飲食 | 0.3〜0.8x | 0.5x | 薄利多売。店舗数・出店余地で評価 |
| 卸売業 | 0.2〜0.5x | 0.3x | 極薄マージン |
※ 上場企業の取引水準等を参考にした目安(中小M&Aの実取引はこれより低くなる傾向)。2026年7月時点。個別の成長率・収益性によって大きく変動します。なお、海外で報じられる15x超のEV/売上高倍率は、AIネイティブ企業など例外的な上位コホートに限られ、国内の未上場企業の評価にそのまま適用できる水準ではありません。
成長率とPSR倍率の関係
PSR倍率は成長率と強く相関します。同じSaaS企業でも、売上(ARR)成長率によって適用される倍率の水準が異なります。ValSimのPSR法ツールでは、入力した成長率に応じて中央値(mid)倍率のみが自動調整されます(レンジの下限・上限は固定)。
| 売上成長率 | 中央値倍率の調整 | SaaSの場合の中央値 |
|---|---|---|
| 30%超 | 高め寄りに上方補正 | 9.0x |
| 10〜30% | 中央値のまま | 6.0x |
| 0〜10% | 低め寄りに下方補正 | 5.1x |
| マイナス成長 | 低め寄りに強く下方補正 | 3.9x |
※ SaaS(低め3.0x/中央値6.0x/高め12.0x)に適用した場合の数値例。「成長率50%なら15〜25x」といった水準は、海外のAIネイティブ企業等の例外的上位コホートに限られます。
PSR法の計算例
E社(SaaS企業)の場合:
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| ARR(年間経常収益) | 2億4,000万円 |
| ARR成長率 | 35%(YoY) |
| NRR(売上維持率) | 115% |
| 営業損益 | ▲4,000万円(赤字) |
SaaSは有形固定資産が少なく減価償却費が僅少なため、営業損益▲4,000万円に減価償却費を足し戻してもEBITDAはマイナスです。したがってEBITDA倍率法は使えません。
PSR法(EV/売上高倍率法)で算定すると:
- 基準レンジ:3.0〜12.0x(SaaS)
- 成長率35%(30%超)のため、中央値倍率は6.0xから9.0xに上方補正
- EV = 2億4,000万円 × 9.0 = 21.6億円(中央値)
- レンジ:7.2億円(3.0x)〜28.8億円(12.0x)
※ NRR 115%は評価の上振れ要因ですが定性的な考慮にとどめ、ツールの自動補正は成長率に基づいて行われます。
EVから株式価値(売り手の手取りベース)への変換
PSR法で算出されるのは企業価値(EV)です。株式の売買価格のベースとなる株式価値(Equity Value)へは、次のブリッジで変換します。
株式価値 = EV − 有利子負債 + 余剰現預金
(役員借入金などのDebt-like項目、事業に不要な資産などのCash-like項目があれば併せて調整します)
上記E社のEV中央値21.6億円に対し、有利子負債3億円・余剰現預金1億円がある場合、株式価値は 21.6 − 3 + 1 = 19.6億円です。ValSimのPSR法ツールでは、このブリッジに加えて、株式譲渡した場合の税引後手取り額(税率20.315%)までを自動計算します。
PSR法の限界
収益性を無視する
同じ売上高でも、粗利率80%のSaaSと粗利率20%の受託開発では企業価値が大きく異なります。PSR法ではこの違いが倍率調整でしか反映されません。
「売上の質」を区別しにくい
一時的な大口案件で売上が膨らんだ年を基準にすると過大評価になります。特に、ARRではなく単発売上が多い企業では注意が必要です。
赤字の「理由」が重要
成長投資のための赤字と、事業モデルの問題による赤字は区別すべきです。
- 良い赤字:売上成長率30%以上で、マーケティング投資を削れば黒字化可能
- 悪い赤字:売上横ばいなのに固定費が重くて赤字
PSR法で高い評価が出ても、赤字の理由を精査しないと誤った判断になります。
EBITDA倍率法・DCF法との組み合わせ
PSR法を単独で使うのではなく、他の手法と組み合わせるのがベストプラクティスです。
赤字企業の推奨アプローチ:
- PSR法で現時点の概算を出す
- DCF法で「黒字化後の将来価値」を算定する
- 両者のレンジを比較し、妥当な範囲を見極める
黒字化が近い企業の場合:
- PSR法で概算を出す
- 正規化後のEBITDAで倍率法も試す(一時費用を除外した黒字ベース)
- 両者のクロスチェック
まとめ
- PSR法は赤字企業・スタートアップでも使える代表的な簡便法
- SaaS企業ではARR × PSR倍率が事実上の標準
- 成長率30%超の高成長SaaSでは中央値9倍前後(レンジ3〜12倍)が目安。15倍超は例外的な上位コホートに限られる
- ただし収益性を無視するため、他の手法とのクロスチェックが必須
- ValSimのPSR法ツールで、成長率に応じた倍率自動調整からEV→株式価値ブリッジ・税引後手取りまで確認できる
※ 本記事は2026年7月6日に内容を確認・更新しています(筆者は2026年6月24日付で税理士登録)。
※ 本記事およびValSimの各ツールは、概算・教育目的の簡易モデル(固定実効税率30%・業種別の目安倍率等)に基づくものであり、実際のM&A取引価格や正式な株式価値算定の結果とは異なります。記事中の倍率・相場・料率は更新時点の目安であり、個別案件では前提により大きく異なります。実際の意思決定にあたっては、公認会計士・税理士等の専門家にご相談ください。